第一節 「我」とは何ぞや?
「我」とは何ぞや?
静かにわれ自信を顧みて考える時、諸君は果たしてこの問題をどうに解釈される
か?
勿論それを相対的に考えれば、「我」とは人間なりとか、或は「我」とは万物の霊
長なりとか、何人と雖も即座にこたえられる事と思う。
然し、そう答えることに依って自分自身ほんとうに安心した気持ちになれるであろ
うか?
ただ単に「我」は人間なりとか或は、万物の霊長であると考え得ただけで人生が如
何なる場合にも------即ち病が生じようと、悲運に陥ろうと、些かも狼狽もせず、又
悲観もせず、いわゆる安心立命の大定心を得られるのなら、人生位簡単なものは無い
という事になる。
が、中々そうは行かないのが人生である。言い換えれば、そんな簡単な解釈で人生
というものはそう易々とは解決出来得ないものであるからである。
人間この世に活きるのに、「我とは何ぞや」という事を正しく理解していないと、
人生を完全に活きるのに何よりも必要とされる、人生観というものが、これ又正当に
確立されない。
そして人生観というものが、正当に確立されないと、その当然の帰結として、実際
生活に先決的に重要な自己統御という大切な事がどうしても完全に出来得ないことに
なる。
言い換えれば「我とは何ぞや?」という事が、正しく理解された時、初めてその正
しい理解が、確固不抜の人生観を確立し、その確立された人生観が、一切の内的誘導
力となって、自己を完全に統御し得るに至るのである。
「我」の本質の自覚を徹底せしむるには、第一に
○自己と心との関係
と並びに
○自己と肉体との関係
というものを正当に解決し、そして「真の生命の如何なるもの?」という事を理解
することをさきにしないと、この自覚を完全に把握する事は不可能なのである。
人間というものの生命の中には、この宇宙の中に存在するありとあらゆる一切のも
のが、ことごとく存在賦与されている。この玄妙不可思議な事実が、その奇蹟に類す
る一大事実が、人間なるものが万物の霊長たる特殊の点であるのである。
然らば、如何なる玄妙不可思議の事実が人間の生命に存在して居るかというに、由
来この宇宙なるものは、いわゆる物質なるものに依って形成されて居る。そしてその
物質は大別して、動物、植物、鉱物の三種に分たれて、更に化学者はその性状の上か
らこれを無機、有機の二者に区別して居る。
然るに吾人人類の生命の中には、以上の一切の物質が、各種の形態の下に悉く存在
して居るのである。
第一に肉体を組織している筋肉とか骨とか、又は血液、リンパ液というような物質
は、その大部分が鉱物の有する生命と同様のものである。
更に、肉体の営んでいる生理的諸般の作用を看ると、それは一般植物の有する生命
作用と同様のものを行っている。
それからいろいろの情念的方向を観察すると、これは一般動物の生命に存在するも
のと殆ど共通的のものである。
然しこれらの消息は一般動物の生命にも存在して居る現象事実なので、別に不思議
とするには足りないが、叙上の事実以外に断然他の動物の生命に見出すことの出来な
い一段高い特殊的特徴が吾等人類の生命の中に存在しているものである。
それは一体何かというに、曰く「高等優秀な精神機能」即ちこれなのである。
詳しくいえば、その精神機能は無形の力ある、意志というものに依って操作せら
れ、極めて優れた、自覚と理解というものを作用している。