然もこの真我=真正の自己、というものは、諸君の生後の無自覚時代の時も、また
その後心の活動が開始されて種々の理解や考察を為し得るようになっても、やはり依
然として同一のものなのである。
否、厳密に言えば諸君がこの世に生まれ出ずる以前から既に諸君となるべき生命要
素なるものは、厳としてこの宇宙大気の中に実在していたのである。
実際! この厳粛な一大事実に想到すれば、真我=真正の自己、というものが、明
らかに心や肉体を超越した尊厳な一実在であるということが一層明瞭になりはすまい
か。
如何に肉体が成長しようとも、又智識や経験が豊富になろうとも、それは単に肉体
や心の変化発達なので、諸君というものの本質には些かの変化は無い筈である。
これは多く考える要もあるまい。諸君が少年時代に自分というものを考えた意識
と、今日自分というものを考える意識とを、篤と比較対照して考察して見るのが一番
良い。
すると、直ちに判然する事は、その智識や肉体の発達せる状態は、全く別人の如き
感じはあるが、然し今一歩深く突き進んで自己というものを本質的に考えると、自己
というものは何人とも交換されておらず、、又取り換えられてもいない事に気付くに
違いない。
即ち、諸君は生まれた刹那から今日に至るまで依然として今なお同一の諸君であ
る。
ただ変化したと思惟されるものは、心や肉体だけである。
否、このように子細に正しい吟味を施すと、真我というものは、物質的の肉体でも
なく、又無形の心でもなく、肉体よりも又心よりも遥かに超越せる一実在であるとい
う事が、正格に意識思量せられる。