るという
意味で立春という。)
第一節 「心」とは何ぞや?
そもそも本能心と称せられる心は、吾人の肉体生命の生存を確保するために存在し
ているものなので、従って人類生命中の動物的方面の生活と生存を現実にするに必要
とする各種の作用や職分を、この心がその本元となって司っているものなのである。
たとえば食欲とか、性欲とか、その他肉体の欲求から発生する各種の欲望、又は一
切の感覚念等の如きものがそれである。
が特に注意すべき問題は、一般の動物的感情情念、即ち闘争心、復讐心、憎悪心、
猜疑心乃至は嫉妬心などというような、いわゆる動物本来特有の低級心性も、この本
能心から発露されているということである。
いずれにしても、結論的にいえば、肉体の内部で行われて居る一切の動物的の作用
及び各種の低級情念というようなものは、皆悉くこの本能心の中に在ると見て差し支
えないのである。
次は精神生命に属する理性心に就いてであるが、この心はいわゆる事物事象に対す
る推理推考を司る心なので、俗に理性というのは、この心の活動現象に対する名称な
のである。
それから最後の霊性心であるが、この心は、吾人人類の精神のみに特有された極め
て優秀性を有する最高級のものなので、普通人には容易に発現し得ないといわれる、
この霊感とか霊智とかいうような特殊のものは、何れもこの心から発露する
ものなので、いわゆる神秘的の偉大な思索や、崇高な思想というようなものは、一切
この心を本源として形成されるものなのである。が遺憾ながらいろいろの理屈や議論
をエラソウにいう人は多いけれども、案外その種の人々がこの心の働きや力に対して
は、余りにも知らなさ過ぎる位無理解な人が多い。
そもそもこの心は吾人人類が万物に霊長である点を現実に具証する心なので、この
心が吾人人類に実在すればこそ、自己とは何かというような他の一切の生物が断然な
し得ない、即ち自我の本質をも悟入自覚する事が出来るのである。
言い換えれば真我=本当の自己 の何であるかを自覚し、同時にその自覚を正信化
するというような尊厳で高級な心的事実は、この心が人類精神の意識の領域に流れ
入った刹那に生ずるエクスタシー・フエノメノンなのである。
こういうわけで、率直にいえば、よくこの心を発動し得ない人は、どんなに学識が
あり又経験があろうとも、以て直ちに真人とはいわれないのである。
いずれにしても吾人人類の心には、凡そ叙上のような種類と階級差別とが存在して
いるのである。