それではどうする事が心を訓練啓発する合理的の方法かというと、それには先ず順
序として、心を生命用具として完全に行使する権能を有するものは一体何か、という
事から知得する必要がある。
要するに多くの人が、ややともすると使うべき心に反対に使われて、人生に徒に苦
悩を招来するのは、心を使うべき権能を持つものを正確に知得していないからだとい
える。
ではその最高権能を有するものとは何かというと、曰く「意志」というもの即ちこ
れである。換言すれば、心の操縦は勿論生命一切の統御を完全にする力を有するもの
は、この意志というものより以外に絶対にないのである。
ところが中には、この意志というものを一般心理学者のいう智、情、意の中の意と
いうものに該当するもののように思惟する人もあるようであるが、そういう考え方で
この意志というものをみるとその本来の価値を悉く冒涜する事となる。
そもそも意志というものは、これを厳密に査定すれば「真我に実在する固有性能」
なのである。分かりやすくいえば、意志とは真我を表示する方便を行うために真我そ
れ自身に隷属するものなので、従って純精神機能的のものではないのである、ただそ
の表現が精神領域において行われるという関係上往々心の作用の一つのように思惟さ
れるに過ぎない。
が何れにしても意志というものこそ前述のように心及び生命の一切に対する主宰権
能を持つものなので、従ってこれあるが故に心を完全に統御行使するのには、何を措
いてもこの意志というものを先ず正確に発動せしめないと、よくその所期の目的を達
成する事が不可能に陥るのである。
多くいうまでもなく、吾人がその心を完全に統御する事が出来ないと、別著「真人
生の探求」の中にも説述したとおり、その心は吾人の人生周囲に纏綿として存在する
各種の消極的暗示事項の同化感化を受けて、精神内容を不純化し、結局は精神使用法
の原則に反する心の使い方をするに至り、その結果精神感応性能=Suggestibilitat
を消極化し、心の強度を低下するに至る。