第一節 精神統一に関する理解
およそ完全な人生に活きていくには、その先決問題として、真我の生命用具である
心的機関を常に適宜に操縦するべく意志の力の発現を現実にしなければ、到底所期の
目的を達成することができないという消息は、既に前章の説明で充分理解された事と
信ずる。
そして意志の力の現実発現は古往今来いろいろの手段や方法が識者によって提唱さ
れているが、就中精神を統一して意志の集中を作為する事がその最も合理的の捷径で
ある。というのは精神がいったん統一されると雑念妄念が完全によく排除され、その
精神領域はいわゆる明鏡止水の状態になるため、期せずして意志集中という事が極め
て自然的に作為されるためである。
ところがただここに問題とする事は精神統一という事柄なのである。世人の多くを
見ると、口に筆に精神統一という事を盛んに言う人は多いが、さて実際に則して見る
と案外にも精神の統一されて居る人というのは極めて少ないという実情である。そも
そも一体これはどんな理由から生まれたことかというと、一言にしていえば多くの人
は平素自己の心を行使する際、精神統一と相関的に密接な関係のある注意という大切
な心的状態が極めて散漫にされているためである。即ちそのため精神統一の基本条件
である観念の統合という肝心な事が欠如され、反対に観念の分裂を招来しているため
である。
そこで精神統一を現実化するには、その順序の過程として先ず注意の結合という事
を第一に習性化すべきである。判り易くいえば、何事何ものに対しても常住結合され
た注意が粘り強く注がれるように心を訓練する事である。