そもそも人格の完成は、人類当然の責務にして、ただ一途、自己を陶冶することに
よってのみ、その目的を達成す。しかも自己陶冶の力は、他面にのみ存在するものに
あらず、まことや昭として自己の生命に内在す。
さればわれ人とともに、より良き優れし人生に活きんには、先ずこの尊厳なる生命
内在の力を発現せしむるに如かず。
而してこの力こそは、自己の心境を正しく、怠らず、清く払拭することによっての
み、その全能を発揮す。
先哲既に叫んでいわずや。「新しき計画の成就はただ、不屈不撓の一心にあり」
と。かるが故に心に心して常に心に、気高き理想と高級なる想像とを、強烈に抱かし
めよ。
そはとりもなおさず、心境払拭に対する唯一つの手段なればなり。
さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に。
よしや、かりに人生行路の中途、滔々たる運命の濁流になげこまるるとも、また不
幸、病魔の擒となることありとも、夢にも悶ゆる勿れ、怖るる勿れ。
宇宙の昭昭たる摂理は、万象を恒に流転す。されば今日の禍も、やがてまた明日の
幸いを瑞祥するの兆たらん。
さなきだにただ一心に心の力を信念精進せば、わが霊に宿る巨神は、その威力を振
い、天の摂理に順応し、自己心中の悪魔も、妖怪も、否、一切の汚れしものをその膝
下に跪かせ、われらを正念の彼岸に導かん。
かくして人生を虐げ人生を悩ます人間世界の煩悶と苦患は、立ちどころに消滅離散
し、われらの世界はここに一新され、燦として輝き、溌剌として生気躍動する尊貴至
上の人生顕現せん。