勿論、一般動物にも意志あり自覚念も理解力もあるには相違ないが、それは何れも
人間のそれとは凡そ比較にならぬほど、量に於いても又質に於いても低調のものであ
る。
事態正にかくの如くで、人間の生命の中にはこの宇宙間に存在して居る最高のもの
から最低のものに至る一切のものが賦与具有されているのである。
然しここに最も注意を要する事は、「我」の本質を正確に自覚するには、これらの
肉体や心の組織の中に具有されて居るいろいろの特徴的なるものを、これを直ちに自
己=我なり、と、考定しては断じて不可なりという事なのである。分かり易くいえ
ば、心や体を「われ」と思ってはいけないという事なのである。
というのは、肉体は勿論、心と雖もそれは決して自己ではないからである。
心や肉体が自己でないというのは、心や肉体が人そのものではないからである。
それは、心や肉体というものは、人がこの世に活きるのに必要ないろいろの方便を
行うための道具という関係を、人間それ自身に対してもって居るものなのである。
心や肉体は、人の生命の本体が広義におけるその生命存在を完全にするために行使
する要具として各々個体生命に賦与されて居るものなので、従って絶対に、人=自己
それ自身ではないのである。