そして本能階級の人々は、口に吾が心とか吾が精神とかとはいっているものの、そ
の吾が心とか精神とかといっている心というものは、肉体の要求や五官の感覚から構
成されて本能的に発動する心を指していっているので、従ってこの種の人々は所謂心
というものを、極言すれば肉体に付属した即ち、肉体よりもより低級のものだと思惟
している。
そしてこの自己意識というものは、真理の上から厳格に論断すれば、極めて価値の
ない低級のものだといわねばならない。何故かというとこの自己意識たるや、即ち、
野蛮蒙昧の民族のもつ自己意識ともいうべきで、かりそめにも文化の進歩した時代の
人間のもつべき自己意識ではないからである。
従って、厳密にいえば、こういう自己意識を万一もつ人があるならば、その人は未
だもって、真の文明民族とは言い得ないのである。
本能階級者は
○肉体=われ、心はその付属物
理性階級者は
○心=われ、肉体はその付属物
と考定している。
苟も吾人がその人生を大定の境涯に活きるには、よりもっと高い真正の自覚に突入
して、正しく「われ」というものの本体をその意識の中に把握せねばならない。