2018年03月27日

「研心抄」(中村天風)

   3月27日(火)  心に関する重要な理解と消息



          バツ(漢字)



  それ人の本体は、肉身に非ず、又心にも非ず。絶対にして不変又不滅不朽なる霊
魂なり。

  然るに人の多くは、この荘厳なる消息を悟る能わず、徒に心又は肉身をその本体
なりと思い惑う。

  そもや仮想は実相の姿に非ず、またその本質の現れにも非ず。

 身といい心と称えるものは、真我の命が現象の世界に活き行くための一切方便を行
わんがための命への要具なれば、ただこれを巧みに調整行使して、ひたすらその性能
の完全なる発揮を促さざるべからず。

 知らずや、たとえ名工名匠と雖も、その用具の完きものなくば恰も腕無きに等し。

 さらば、われ人共に、真にその人生に安定(あんじょう)せんには只一念吾が命の
要具たるこの仮想の存在をより良く完(まった)からしむる事に三昧せざるべから
ず。

 かくして初めて人としての正しき幸いを受くるを得ん。

 悟らざるべからず。勉めざるべからず。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月20日

「研心抄」(中村天風)

   3月20日(火)  意志の力の発現に関して



 勿論この実行は当初の間は多少の困難を感ずる事であろう。就中身に病を持つと
か、心に悩みを持つ人には、特に鎮心上に一層の努力を要するかも知れないが、その
時決して無理に心の錯綜混乱を抑制しようと焦慮してはならない。即ちしばらくは心
の成りゆきに任せて悠々乎として心の秩序なき活動力の止むのを待つに如かずであ
る。時には奔馬ただならずというように始末に負えない程乱詠な状態で複雑多端に活
動するかも知れない。然したとえ心が如何に騒ごうとも些かもこれに懸念することな
く寧ろ平然たるべしである。そうすれば遂には心それ自身力尽きておのずから静止す
るに至る時が来るものなのである。無論最初の間は相当の時間を要するかも知れない
が、然し漸次実行の回数を重ねるにしたがい、遂には随時随所自由自在に心を鎮める
事が容易に出来るようになる。そしてこの実行を長期に亘って繰り返して実修してい
ると、いつかは真我の本体もハッキリと認識し得るようになる。そうなるともうしめ
たもので多年の間自己を苦しめたものは、自己の生命用具である心を真我の属性であ
る意志を以て正当に統御しなかったために、心が勝手気儘に秩序なく騒擾し、その上
常に肉体のために翻弄されて極度に動乱していたためだという事実を判然と自覚し、
進んで宇宙の大本体と真我との関係が分かり、同時に生命の力(Vril)と心との相関
関係も明瞭に了解し、結局真我と宇宙の絶対とは果然合同し得る崇高なものだという
人生哲理の真諦を確実に把握し得るに至る。

 そしてこの最高自覚感が真に確立するようになれば、吾が心霊は低級境地を離れて
至上の妙境に向上する。そして何事に際会しても微動だにせぬという悟入大定に三昧
し得るいわゆる歓天喜地の彼岸境地に到達する。

 が、かえすがえすも践行の効を見るに急なる勿れである。要は忍耐と不撓の努力と
で丹念に繰り返される正しい瞑想を行ずるにある。

 そうすればいつかは諸君の感応を通じてその意識に手答えある震動は与えられ、や
がて来るべき自然の会得を拓く鍵を把握し得るは必然である。従って所詮は一意践行
の功を積む事に依って諸君の霊魂(真我) から諸君の一段高い心境への至妙の囁き
を待つ事のみである。

 否こうする事に依り諸君の低級心界はよく払拭統一され、真我の燦たる霊光を遮ぎ
るものが除かれ、霊覚の眼を覚ます意識の黎明を現実に促し、真人としての基盤も牢
固として確立する。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

「研心抄」(中村天風)

   3月13日(火)  意志の力の発現に関して



 そこでなお一層この意識観念の確立を現実に助成する手っ取り早い方法として、次
の事の実行をお薦めする。即ち一日の中で適当な時を選んで、瞑目一番心を鎮めるい
わゆる鎮心行というものを行うのである。勿論その体勢は静座でも、椅子に腰かけて
も、又仰臥してでもよい、すると人に依って早い遅いの相違はあるが、やがて暫時に
して心の複雑な活動が止む時が来る、その時である。心の活動が止んでもそこに一つ
厳として自己存在の意識だけが残留して居る事を自覚されるに違いない。判り易くい
えば「われ在り」という意識だけは絶対に消滅しない。そしてこの意識を例えおぼろ
げにでも自覚し得れば、自己(真我)というものは、心よりも又肉体よりも超越して
居る一実在であるという意識観念が自然と確立され、諸君は悟入自覚という精神的進
歩の第一階級にその第一歩を踏み入れたこととなる。そしてこの意識観念確立の程度
に伴って益々自己(真我)の正確な自覚感に鮮明の度を加えて来る事になる。
posted by 林田カイロプラクティック院 at 05:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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